ミッションを生きるということ

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先日、Facebookで神田昌典さんが響く言葉を投稿されていたので、それを引用しつつ考察をしたいと思います。「ミッション」という言葉を聞くと、どうしても「仕事上で与えられた任務」のように感じてしまいますが、人それぞれが生きる中でも「ミッション」というものを持っているのだと私は考えています。

昔「7つの習慣」でミッション、ミッションステートメントの意義について読んでいたことも影響しているかもしれませんが、この「ミッション」をどう心の中に留めておくかと言うことはとても大事だと思います。

下記が神田さんの投稿の一部引用です。

「家族を守る」と覚悟することから、目の前の現実が動きはじめ、その結果として、ミッションが明らかになるのです。覚悟を決めると、現実が曲がりはじめます。それは新しい出会いであったり、新しい責任であったり、新しい立場だったりします。そうした未来からの誘いに、無我夢中で取組んだすえに、ミッションが明らかになるようなのです。

しかし、話はここでは終わりません。
ミッションに取り組んでいますと、実は大切なものを失います。矛盾するように思えますが、自分が大切にしていた、「とても柔らかいもの」を傷つけてしまうのです。
その「柔らかいもの」は、ひとによって違います。

いままで一緒にやってきた仲間との別れも、そのうちの一つでしょう。どちらも傷つきますが、
その傷をじっと癒してくれる存在がいるのです。
長い間、気づかなくても、そこにいます。

引用元 : Facebook

全文はFacebookで神田さんのフィード購読して頂ければと思いますが、自分の「ミッション」を貫こうとすると、それに合わないものを排除しなければならないことが起こると、私も思います。実際に今、「ミッション」に合わないものとの軋轢をどう解決するか悩んで動いています。

「全ての人を幸せに」なんてことは70億人を突破した現代では、誰しもできないので、設定する「ミッション」はもっと自分に根付く具体的なものになるはずですので。

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自分の「ミッション」に背くと不幸になる

これは個人的な経験から踏まえたものですが、自分の「ミッション」を定義しておきながら、それに反することをしていると、ストレスがどんどんと溜まり、負のスパイラルに陥ると私は感じました。実際にそうなったのがたまたまだったのか、ミッションに背いたからなのかは反証できませんが、ストレスが溜まるのは事実です。

例えば、あなたのミッションが「家族を幸せにする」ことであり、そのためにがむしゃらに仕事をしたとしましょう。でも、その家族が求めていることはあなたがなるべく傍にいることなのに、ずれてしまっています。この場合は、ミッション設定そのものが誤っているので、再定義する必要があるでしょう。

再定義し、「家族と傍にいる時間を多くつくり、豊かな家庭を作る」とした場合でも、会社に属している人は上から一方的に仕事を押し付けられて、家に帰れないこともありえます。これは完全にミッションに反していますね。

そうすると、今までの会社という付き合いから離れる必要性が出て来ます。神田さんの話からも出て来た「仲間との別れ」とはそういうことも含まれるのではないかと思っています。別にどっちが悪いとかそういうのではなく、人それぞれのミッションが違うのだから、すれ違うことだってあって仕方がないと捉えるしかないと思うのです。

ですので、私は横柄な態度は基本的に取るつもりはないものの、自分のミッションは大事にしたいと思っています。なので、なるべく本音でモノを語ります。我慢しすぎる前に、解決策を探りそれを実行しようとします。

「ミッションステートメント」として明文化する必要性は、個人では要らないかもしれないですが、きちんと心にミッションを持つことは、これからの社会では大事なのだと思います。(こういうのも学校では教えてくれないのが残念ですが・・・。)

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もぐ
年齢 : 30代半ばの1児の新米パパ。ITネットワークから始まり、WEBディレクター、WEBシステム系のプロマネ、データ分析など色々やってるエンジニアです。WordPress、Webサービス構築、BIツール、IoTなどがトレンド。新しくて面白い仕事募集中。
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